金太郎飴みたいな皆んなと同じは望まない

自分のポリシーを持って誠実に生きて

 

自分にしか描けない魂の軌跡をつけてゆく

そうして与えられた生命を生き切る

 

自分の人生を一生懸命に生きていると

不満の入り込む余地などないなぁ

 

みなさん、こんにちは

LGBTQ対応コンサルタントの廣川衣恵です

 

突然ですが、皆さんはポリシーを持っていますか?

 

私は何年前になるかなぁ・・・

考えに考えて作りましたよ(笑)

 

最初は、直ぐに作れると思いました

大切にしていることはあるし

こう生きたいという柱もあったから

 

・・・が・・・しかし

 

ポリシーとして纏めるとなると

思いのほか難しいものでした💦

 

本邦初公開ではないけれど

良かったらご覧ください

 

廣川衣恵のポリシー

・いつも笑顔

・明るく爽やかにご挨拶します

・自分にも他人にも誠実で真心で接します

・常にポジティブで周りの人たちを元気づけます

・優しさと合わせて凛とした強さを持ちます

・素直に聞くこと感じることを大切にします

・愛に基づいた行動をとります

・常に感謝を忘れません

 

いつも見返しては、まだまだだなぁと思います

そして頑張ろうと思います

 

前回も「不満」をテーマについて書かせていただきましたが

また別の切り口で考えてみたのでお付き合いください

 

日々の暮らしで、ちょっとしたイライラが

魚の小骨のように刺さることと思います

 

それらが少しずつたまって不満になっていくのですが

不満を抱く原因は自分の中にあるよ

そう言うと皆さん怒るかなぁ…💦

 

「不満」とは「満たされない気持ち」

自分の意にそぐわない物事 = こんなのはいやだ! 

➡不満の誕生です

 

不満には二種類あると師匠から教えてもらいました

「自分自身に対するものか」

「他の人や環境などに対するものか」

 

一般的に不満という感情は他者へ向くものと

とらえがちですが

 

自分自身に矢印が向くと

それは発奮材料にこそなれ負の作用はありません

 

アイツが悪い!社会が悪い!と

周囲への不満ばかり感じているうちは

いつまで経っても不満を解消できないし成長も見込めません

 

「要求が満たされない」原因は

外にあるわけではなく自分にある

 

この前提を受け入れ、自分に問うことで

自分の深いところにある要求を知ることができ

結果として不満を解消できます

 

例えば気に入らない部下や上司との関係について質問します

「どうしたら信頼関係を持って仕事ができると思う?」

 

これは実際に私が自分にした質問ですが

・悪口で盛り上がって一体感があって心地よかった

ガッカリな自分に気付くこととなりました

 

成長を望むなら他者への不満など

エネルギーの無駄遣いでしかありません

 

自分の中にある不満と

自分自身ととことん向き合って

自分の人生を生き切りたいものですね

 

ぜひ、ポリシーを作ってみてください

「成りたい自分を決めるとその通りの者となる」と

仏陀の教えにもありますから

 

執筆者プロフィール

廣川 衣恵(ひろかわ きぬえ)

教育大学岩見沢校非常勤講師(人権教育・男女共同参画社会担当)
互いの個性や多様性を認め合い、誰もが生きがいと誇りを持ち自分らしく生き切ることができる日本を創ろうと起業準備中

廣川 衣恵のプロフィール

北海道札幌市生まれ。

4歳からピアノを習い、高校2年生から浜松の伯父宅に寄宿し、東京の音大教授に師事するも親の都合により進学が叶わず18歳の春に泣く。

2年ほど自宅でピアノ教室を主宰するが、元々、母の希望で習っていたピアノ。音大も出ていない自分が教えていていいのかという葛藤と将来の展望が描けず就職活動を開始。

しかし、新卒者ではない私に社会は厳しかった!
面接に行く度「もう、お嫁にいきなさい」などと断られ続け「私は社会で必要とされていない」と感じてとても悲しかった20歳春の涙。

モデルクラブに所属してアルバイトをしながら、悩みに悩んで公務員試験にたどり着き、
どこかで必ず誰かのお役に立つ仕事だと信じ昭和54年札幌市職員として働き始めます。高校卒業から3年、21歳春やっと自立の途。

28歳で結婚、不妊治療の甲斐あって、やっと31歳で長男を33歳で次男、36歳で三男を出産。育児休業制度がない時代、産前産後8週で仕事に復帰して仕事と子育ての両立に必死。まさに髪振り乱しての10年間。

息子たちが将来、掃除や洗濯、料理のために結婚相手を選んでほしくないと思い、三男の入学を機に重点を仕事にシフトチェンジ、45歳でやっと係長試験に合格。

子育てで培った時間管理、優先順位をつける、切り替え能力、マルチタスク処理能力などを活かしゼロイチの仕事をたくさんさせてもらいました。

私は、たくさん失敗をしてきて、失敗したらどうしようという怖れがないことが良かったと思っています。

東日本大震災の時には、企業から寄付を集めて福島の子どもたちのための保養所を作ったり、早々に脱原発を掲げた姉妹都市のミュンヘン市から寄付を募るため市民団体に随行してドイツ講演会を開催したり、最後は政令市初となる性的マイノリティのためのパートナーシップ宣誓制度の策定までしたいと思う仕事をさせてもらうことができて幸せでした。

定年後、認定こども園の園長を3年ほど経験させていただきながら多様性が尊重される共生社会の実現を目指して講演活動や研修を行ってきましたが、2021年秋よりフリーランスとなりました。

活動の原点となるのは、私自身のマイノリティ体験。ある時、上司に「3人子どもがいるということは、あなたは、それだけ働いてこなかったということだ」「同じ年数を働いてきた男性と比べて明らかに劣る」と配属された初日に言われ、大変ショックでした。

組織の中の多様性とは、結婚している男性を標準とするのではなく、違いのある人たちがいるって認め合うことだと思います。

夢は、孫世代(現在、4歳~0歳まで5人の孫がいます)が大人になった時、誰もが安心して自分らしく働ける愛ある職場を創りたい!

そして、子どもも大人も自由に夢を語る日本にしたい!そう思って活動しています。

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