最近、「アンコンシャスバイヤス」という言葉を

耳にすることが増えていませんか?

 

「アンコンシャスバイヤス」とは無意識の偏見のこと

 

例えば、身の回りでこんなことはありませんか?

・雑用や飲み会の幹事は若手の仕事と決まっている

・血液型で相手の性格を想像してしまう

・育児中の女性社員に営業はムリと思ってしまう

・お酒が飲めないと付き合いが悪いと言われる

・相手の年齢や性別で話し方を変える

・定時で帰る社員はやる気がないと思う

これらがジェンダーによるアンコンシャスバイヤスです

 

ジェンダーとは、生まれつきの身体的な性別とは異なり、

社会的・文化的に、後になってから作られる性別のことをいいます。

 

例えば、「女性は優しく、男性は強く」、

「女性は繊細、男性は豪快」などで表わされる、

紋切り型の「女らしさ」「男らしさ」等が、

ジェンダーの表れです。 

 

これは、これまでの社会環境や伝統、文化、歴史等により

形づくられたものですので、 住んでいる国や地域によって異なり、

時代の移り変わりにも左右されます。

この「女らしさ」や「男らしさ」というもの、

それ自体が「良い」「悪い」という価値観を持つものでもありません。

けれど、ジェンダー観に基づいて、

社会における「女性の役割」「男性の役割」を

固定的にとらえてしまうと、

男女ともに生きづらい状況を生んでしまうのではないかと思います。

 

皆さんの周りにあるジェンダーに基づくもの、

メディア、権威に基づくアンコンシャスバイヤス

「そういえば…」と気づいたことがあるのではと思います

 

そして、自分の中の中にもあることを感じられたのではと思います。

普段、あまり意識することのない「無意識の偏見」ですが

 

誰にでもある違い、国籍に信仰、学歴に価値観

親子だって同じではない

色々です

 

皆んな違いがある

それが当たり前

 

どれか一つの違いに着目して語られるとそれは差別と感じる

例えば、体型や容貌のこと

背が高いとか低いとか…

 

私は女性としては背が高くて、

同性の友人には羨ましがられましたが

自身としてはコンプレックスでした

そして目が悪くてメガネをかけていたのですが

「めがねポンチのせいたかのっぽ!」と

男の子たちにはやされるのが嫌で嫌で泣きました

良く見えないのにメガネを外して通学したり

 

その頃は、違いは個性だし強みであり可能性であることを知らなかった

今はもう、同じであることに価値がある時代は終わりましたね

 

お互いの違いを認め合える

これが真の豊かさだと思うこの頃です

 

思い込みの枠を外していきましょう♬♡

執筆者プロフィール

廣川 衣恵(ひろかわ きぬえ)

教育大学岩見沢校非常勤講師(人権教育・男女共同参画社会担当)
互いの個性や多様性を認め合い、誰もが生きがいと誇りを持ち自分らしく生き切ることができる日本を創ろうと起業準備中

廣川 衣恵のプロフィール

北海道札幌市生まれ。

4歳からピアノを習い、高校2年生から浜松の伯父宅に寄宿し、東京の音大教授に師事するも親の都合により進学が叶わず18歳の春に泣く。

2年ほど自宅でピアノ教室を主宰するが、元々、母の希望で習っていたピアノ。音大も出ていない自分が教えていていいのかという葛藤と将来の展望が描けず就職活動を開始。

しかし、新卒者ではない私に社会は厳しかった!
面接に行く度「もう、お嫁にいきなさい」などと断られ続け「私は社会で必要とされていない」と感じてとても悲しかった20歳春の涙。

モデルクラブに所属してアルバイトをしながら、悩みに悩んで公務員試験にたどり着き、
どこかで必ず誰かのお役に立つ仕事だと信じ昭和54年札幌市職員として働き始めます。高校卒業から3年、21歳春やっと自立の途。

28歳で結婚、不妊治療の甲斐あって、やっと31歳で長男を33歳で次男、36歳で三男を出産。育児休業制度がない時代、産前産後8週で仕事に復帰して仕事と子育ての両立に必死。まさに髪振り乱しての10年間。

息子たちが将来、掃除や洗濯、料理のために結婚相手を選んでほしくないと思い、三男の入学を機に重点を仕事にシフトチェンジ、45歳でやっと係長試験に合格。

子育てで培った時間管理、優先順位をつける、切り替え能力、マルチタスク処理能力などを活かしゼロイチの仕事をたくさんさせてもらいました。

私は、たくさん失敗をしてきて、失敗したらどうしようという怖れがないことが良かったと思っています。

東日本大震災の時には、企業から寄付を集めて福島の子どもたちのための保養所を作ったり、早々に脱原発を掲げた姉妹都市のミュンヘン市から寄付を募るため市民団体に随行してドイツ講演会を開催したり、最後は政令市初となる性的マイノリティのためのパートナーシップ宣誓制度の策定までしたいと思う仕事をさせてもらうことができて幸せでした。

定年後、認定こども園の園長を3年ほど経験させていただきながら多様性が尊重される共生社会の実現を目指して講演活動や研修を行ってきましたが、2021年秋よりフリーランスとなりました。

活動の原点となるのは、私自身のマイノリティ体験。ある時、上司に「3人子どもがいるということは、あなたは、それだけ働いてこなかったということだ」「同じ年数を働いてきた男性と比べて明らかに劣る」と配属された初日に言われ、大変ショックでした。

組織の中の多様性とは、結婚している男性を標準とするのではなく、違いのある人たちがいるって認め合うことだと思います。

夢は、孫世代(現在、4歳~0歳まで5人の孫がいます)が大人になった時、誰もが安心して自分らしく働ける愛ある職場を創りたい!

そして、子どもも大人も自由に夢を語る日本にしたい!そう思って活動しています。

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